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Voyage de M. Golovnin, capitaine de vaisseau de la Marine impériale de Russie, : [2]

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 ケンペル、ツュンベリ、シーボルトらの来日は鎖国中の日本と貿易を行っていたヨーロッパ唯一の国オランダを通じてのものであったが、オランダ以外の国、特にイギリスやロシアの船は19世紀に入ると日本沿岸に出没して、オランダと同等もしくはそれ以上の待遇での通商を求めてくることが多くなっていた。しかし日本は鎖国体制を解かずこれを拒絶していた。この様な中、通商を拒否されたロシア使節レザノフはその報復として1806,7の両年、部下のフヴォストフ、ダヴィドフ両海軍士官に命じてカラフト、エトロフ島周辺に居留する日本人に対して略奪を行なわせた。この略奪行為はロシア人に対する日本人の感情を極度に悪化させ、幕府は兵を北辺に駐屯させ防護にあたらせた。  フヴォストフがカラフトを引きあげてから4年目の1811年、オホーツク沿岸の測量の任をおびたロシア海軍少佐のディアナ号艦長ゴロヴニン Vasilii Mikhailovich Golovnin(1776-1831)と数名の部下が食糧、飲料水を求めクナシリ島に上陸したが、日本側はフヴォストフ事件との関係を調べるため彼らを逮捕した。松前へ護送され投獄されたゴロヴニンらは尋問を受け、フヴォストフ事件とは関係のないことを認められるが釈放されず、これより2年あまり軟禁され続けた。この間、脱走して捕えられるという事件もあったが、その後は蝦夷通詞や、幕府から通訳応援とロシア語学習のために派遣された馬場佐十郎と足立左内にロシア語などを教えて過した。馬場は以前に高橋影保(シーボルト事件に連座して獄死)らと共に、ロシアの漂流から戻り幕府の薬草園に軟禁されていた大黒屋光太夫から2年間にわたってロシア語を習っており、光太夫の指導によって編纂したらしい簡単な露和辞典を持っていたが、ゴロヴニンはこれに増補訂正を加えたり、ロシア語文法ノートを作ったりして馬場の学習を助けた。馬場は他の捕虜からドイツ語とフランス語も学んだ。のちに馬場はゴロヴニンの文法ノートを訳して「魯語文法規範」としてまとめたり、天文方訳局における「ショメール百科辞典」の翻訳に従事した。足立は光太夫が持ち帰っていたペテルブルグ版小学校用の数学教科書をゴロヴニンの協力で翻訳したり、また、天文学やヨーロッパの暦法、三角関数について正確な知識を持っていたためゴロヴニンらを非常に驚かせた。間宮林蔵もゴロヴニンに陸岸測量法や天体測量法を習いにくるが、マミヤがロシア人に対して尊大で気負いたった姿勢であったため、ゴロヴニンは間宮には好意をもてず「日本幽囚記」の中で彼を辛辣に批評している。  ゴロヴニンらが捕えられた時、ディアナ号副艦長リコルドはこれを救おうとしたが果たせず、1812年にクナシリに再来し、連行していた漂流日本人を返しその交換にゴロヴニンらの釈放を交渉したが受け入れられなかった。このためリコルドは通りかかった船を捕え、船主高田屋嘉兵衛ら4人を連れ去った。捕えられた嘉兵衛は日露通商開始の支持者で紛争を平和に解決する事を望んでいた。リコルドは嘉兵衛に交渉の仲介を委ね、彼の活躍により1814年ゴロヴニンらは2年3ヶ月ぶりに解放された。  ゴロヴニンは捕えられている間、暗号ばかりで日記を懐紙に書き続け、いつ没収されるか判らないためいつも腰に巻いて持っていたという。ペテルブルグに帰った彼はこの日記と、馬場、足立、間宮ら日本の知識人から聞きとった国内体制、風俗、民族性、学問的水準などについての知識を加え日本における幽囚生活を克明に記録した。1815年にこれを雑誌に掲載し、翌16年には皇帝の勅許により官費で<日本幽囚記>として出版された。同書はゴロヴニン自身が前書きでいうように、日本認識の手段が獄中ということもあり、限られたものであったが、日本についての評価はおおむね好意的である。  ヨーロッパでは「日本幽囚記」が出版されるまで、日本についての情報はほとんどがオランダを通じてのものであり、その限定された情報に不満を持っていた。そのため、直ちにドイツ語、フランス語、英語などに翻訳され当時のベストセラーとなった。当館所蔵書は1818年パリで出版されたフランス語版で”Voyage de M.Golovnin・・・”というタイトルを付した初版2巻本及び同年ロンドンで出版された英訳初版2巻本Narrative of my copitivity in Japanである。  ロシアの作家レフ・トルストイは「日本幽囚記」に感銘を受けて「ゴロヴニン艦長の世界周航と日本人に捕われた話」という子供向けの物語を書いて日本を紹介している。日本では前述の馬場佐十郎が江戸参府中のオランダ商館長からオランダ語訳本を借りて写しとり、幕府の内命を受けて翻訳を行い1825年に「遭厄日本紀事」として完成している。このことは、「日本幽囚記」に示した各国の反応を含め、同書に対して当時の幕府が深い関心を持っていたことをうかがわせる。幕府は増え続ける通商要求を拒絶し続けながらも、外国の動静はオランダ商館を通じてもたらされる情報から、かなり正確に捉えていた様である。1853年のペリーによる日本遠征も、その前年には使用される船の名前まで含めて察知していたという。

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発行日タイトル著者
1818 Voyage de M. Golovnin Vol.1 Golovnin, Vasiliĭ Mikhaĭlovich
1818 Voyage de M. Golovnin Vol.2 Golovnin, Vasiliĭ Mikhaĭlovich

 

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