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〔06〕  Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon : [3]

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当時のヨーロッパにもたらされた日本に関する情報は、来日した宣教師によるキリスト教布教の立場からの著作などによるものが多く、伝えられた情報は僅かであり、現在のそれとは大きく異なっていた。また、徳川幕府のとった鎖国政策により孤立した日本の実情を知ることは極めて困難なことであった。そのような中で、科学者から見た日本を紹介したのがケンペルEngelbert Kaempfer(1651-1716)の《日本誌》Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon であった。ケンペルはドイツに生まれ、幼いころから向学心が高く30歳近くまでトルン、クラウカ、ケーニヒスベルク、ウブサラなどの各大学で歴史、語学、薬学、博物学などを学んでいる。早くから未知の世界への憧れも強く、アジア諸国の探訪に意欲を持っていた彼はオランダの東インド会社に就職し、ジャワ、シャムを経て1960年(元禄3)に出島オランダ商館付き医師として来日した。滞在中彼は通詞達にオランダ語などを教えるかたわら、自らも日本の歴史、言語、産物などを熱心に研究している。特に関心を寄せたのは、医療としての鍼灸、その植物としてのモグサ、産物としての和紙の材料、飲食物としての茶などがある。鍼灸については、帰国後ライデン大学に「鍼術による疝痛の日本的治療と中国人、日本人向きにしばしば用いられる刺激剤モグサ灸について」という論文を提出して学位を得ている。茶については、帰国後出版した「廻国奇観」(Amoenitatum Exoticarum,1712年刊)の中で27ページを費やして、茶の木の全容から種類、製法、茶道具、その効用と害毒までを詳しく伝えた。この記事は有名な植物学者リンネの「植物の種」にも利用、紹介されたり、また、リンネの弟子である、シュンべリはリンネの勧めもあって後日来日するのであるが、彼の「日本植物誌」(Flora Japonica,1784年刊)もケンペルの本を最も参考にしたと言われている。ケンペルは商館長について1691,92年と二度の江戸参府旅行に加わり、この出島から出ることのできる唯一の機会を利用して、路傍の草木を採集し、江戸城では徳川綱吉に謁見し不老長寿の薬について尋ねられたといわれている。1692年(元禄5)離日したケンペルはアムステルダムへ帰り、前述した論文などにより医学博士の学位を取得、その後生まれ故郷の領主の侍医となり多忙な日々を送った。彼は長崎にいた時にすでに日本についての著作を刊行しようと思っていたが仕事に終われ、「廻国奇観」を刊行したのは日本を離れて20年も経った1712年のことである。しかし、ケンペルはこの本を未完成なものであるとことわったうえで、本の前書きの中で当代の日本について、ガンジス河以遠の植物標本図鑑、世界旅行記などの著作を予告した。しかし彼の生前にはそれらの著作の刊行を引き受ける出版社は現れなかった。ケンペルの没後、イギリスの蒐集家ハンス・スローンが遺族から原稿を買い取り(スローンの没後大英博物館に収蔵)、ドイツ語の原文を在英のスイス人医師ヨハン・カスパル・ショイヒツェルJohann Gaspar Scheuchzerに依頼してこれを英訳、伝記と解題を付け“The History of Japan”と題して1727年2巻本でロンドンで出版した。同書は大好評を博し翌年には早くも重版される。当館所蔵書はフランス語訳で1729年ハーグで刊行された大型2巻本と1732年の同地再販の小型3巻本で、共に英訳本からの重訳である。内容は前5篇及び付録からなり、第1篇には1690年バタヴィアを発ち長崎に着くまでの記録、日本の地理、気象、鉱物、動植物など、第2篇は日本の政治体制、歴史、第3篇日本の宗教、第4篇は長崎のことや貿易史、第5篇は二度の江戸参府旅行について述べ、付録は「廻国奇観」に収録されていた日本関係の論文から鎖国論や茶、鍼灸についての論文などを再録している。大型2巻本には地図、動植物その他様々な挿画が多数収められているが、小型3巻本には地図のみが10枚折り込まれているだけである。「日本誌」が出版されると、その正確な記述と取り上げた素材の新しさなどから諸学者の大いに利用するところとなる。例えばシュンベリは勿論、ディドロの「百科全書」、モンテスキューの「法の精神」、ルソーの「人間不平等起源論」、ヴォルテールの「諸国民の風俗と精神に関する試論」、カントの「永久平和論」などの日本について論及されている部分は「日本誌」がその重要な資料として用いられている。日本においても1778年(安永7)には蘭訳本が輸入されており、松平定信や平田篤胤らが同書について言及している。弘化年間(1844~48)には幕府天文方で全訳がなされ、特に1801年(享和元年)に和蘭通詞の志筑忠雄が訳した「鎖国論」は有名で、鎖国という言葉の始まりであった。「日本詞」の出版は、ヨーロッパ人の日本観を科学的なものにし、ケンペルに続くシュンベリ、シーボルトらの日本研究の契機ともなっていった。(神奈川大学図書館貴重書目録『古典逍遥』より)

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発行日タイトル著者
1732 Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon Vol.3 Kämpfer, Engelbert
1732 Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon Vol.1 Kämpfer, Engelbert
1732 Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon Vol.2 Kämpfer, Engelbert

 

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