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古今小説 : [4]

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我国における儒学に対する復古的動向は、清原家による漢宋新古二注の集大成後150年余りにして早くも伊藤仁斎の古義学、荻生徂徠の古文辞学を産み、その寛容な人間観・儒学からの人間の内面性の解放によって詩文の素材と表現の幅を拡大させ、文学としての自立性をもたらした。人情・人欲を肯定する仁斎の文学観は通俗文学にも許容的で、古義堂の門人には中国の通俗小説に関心を寄せる者が多く現われ、我国近世における白話小説受容のうえで大きな役割を果たした。また、徂徠は中国の古文辞学派のリーダー李攀龍・王世貞らに共鳴し、漢詩の分野に懐古主義的詩風を切り開くと同時に、唐音学者岡島冠山らと共に唐話・唐音の研究を行って中国語の研究を深化させ、江戸期散文の分野における中国白話文学の翻訳の素地を用意した。徂徠に大きな影響を与えた中国の古文辞学派は、明代中期(1500年代)において当時の典雅ながら退屈な台閣体への反動として起るがその実作における形式的模倣と主張の主情性が唐宋派などによって批判され、明末には銭謙益(明末儒者 後清朝に仕官)の批判によってその命脈を絶つ。 この明中葉から明末にかけての中国文学史において特筆すべきことは、通俗文学の隆盛とそれに対する評価であった。陽明学左派の最後の人物李卓吾(1527-1682)は、明末清初の抵抗思想家黄宗義らからも異端視された急進的・虚無的思想家であったが、既成の形骸化した価値観にとらわれぬその人間主義的文学観によって、「外来の見聞知識に汚されぬ<童心>の発露であれば時代・ジャンルに関係なく優れた文学である」として、自ら『水滸伝』の序文を書き、通俗文学を「古今の至文」と評価した。こうした通俗文学隆盛の背景には、フランスの中国学者ジャック・ジェルネによって<第2回目のルネッサンス>と評価される商工業都市の発達と都市市民層を担い手とする市民文化の成長があり、宋代の都市で栄え庶民によって継承されてきた語り物(話本)は、明代の出版業の興隆ともあいまって通俗小説としてまとめられ刊行された。四大奇書といわれる『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』が整理若くは創作・刊行されたのもこの頃である。  本書『古今小説』の原本が馮夢龍によって最初に編集・刊行されたのは明末期天啓元年(1621)と推定される。宋代依頼の話本は元々一編一編別個に刊行されたものが好事家に所蔵されてきたが、明代に入ると次第に稀少価値を生じ、出版業の隆盛に伴い『清平山堂話本』(今日では大半が佚書である)のような話本集を出版する機運が生まれ、この『古今小説』はそうした流行の総決算をなす最も完備したアンソロジーであった。話本の蔵書家であった馮夢龍は、自ら収集した話本のうちまず40編を『全像古今小説』、40巻(一巻各一話)として刊行し、これを改編改題して『喩世明言』24巻として重刻、ついで天啓4年(1624)の序をもつ『警世通言』40巻、天啓7年(1627)同序『醒世恒言』40巻を刊行した。『喩世明言』『醒世恒言』の見返しにはそれぞれ「重刻増補古今小説」「絵像古今小説」と題されており、『古今小説』とは以上三言120種の小説全体に与えられた総称であった。内容的には<話本>の他、明代に<話本>形式を模倣して創作された<擬話本>および編者自身の創作も含むとされており、凌濛初の短編集『拍案驚奇』(1628)『二刻拍案驚奇』(1632)各40巻と一括して「三言二拍」と略称される。  これらの話本集は、明代に抱甕老人が「三言二拍」から40編を選び『今古奇観』として刊行すると、この流行によって珍本と化し、清朝の度重なる文化弾圧政策によって市場から姿を消しその存在さえも忘れ去られていたが、大正末から昭和初期にかけて長沢規矩也氏らの手によって我国の内閣文庫から『喩世明言』『醒世恒言』他が発掘されるに及んで初めて、その全貌を解明する緒がつけられた。  編者の馮夢龍は明万暦2年(1574)に生まれ、崇禎中地方官として出仕し、経学研究の他明日通俗文学の分野に多数の編著書を遺しているが、明朝滅亡の際、南明復興の主流派のひとつ唐王隆武帝を擁立し、清順治2年(1645)に死亡したといわれる。  当館所蔵『古今小説』4巻は、沢田一斎が『全像古今小説』より14話を撰した自筆本。版心に「奚疑斎」とある卦紙を用いて書写されており、他に全く類書が見られない。本書に収録された14編のうち5編は『喩世明言』『今古奇観』『欹枕集』『清平山堂話本』など他の話本集に再録されていないことにも本書の資料的価値が認められよう。  編者沢田一斎(1701-1782)は江戸の儒者。名は重淵又は文拱、別号は奚疑斎。京都書肆風月堂店主として多数の学術書を出版。儒学を山口春水、松岡雄淵らと共に若林強斉に学び、雄淵門下の竹内式部、唐音学者岡白駒とも交友があり、日本の古典だけでなく華語華文にも通じていた。  「三言二拍」には近世前期には渡来していたが、当時は中国語の知識が普及しておらず、本格的に紹介されたのは岡白駒『小説精言』(1743)『小説奇言』(1753)沢田一斎『小説粋言』(1758)の<和刻三言>が刊行されてからであり、こうした訓訳の提供は読本誕生の機運を促した。曲亭馬琴、山東京伝らの読本、また上田秋成の『雨月物語』も「三言二拍」に紛本を求め、自己の主題を紛本の構成に融合させるという高度な翻案を達成しており、近世中期以降の散文学に物語の構成、心理描写、教訓の導入等の方法を教えた意義と影響は極めて大きいものがある。現在『近世白話小説翻訳集』全5巻(中村幸彦編 汲古書院)が刊行されている。 (神奈川大学図書館貴重書目録『古典逍遥』より)

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発行日タイトル著者
〔01〕 古今小説 一 沢田, 重淵(一斎) [撰]
〔02〕 古今小説 二 沢田, 重淵(一斎) [撰]
〔03〕 古今小説 三 沢田, 重淵(一斎) [撰]
〔04〕 古今小説 四 沢田, 重淵(一斎) [撰]

 

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